遺言
なんだか青臭いアタリマエのハナシすぎるし、遺言なんて大層なもんではないけど、一応したためておきます。
(なので、オトナな方はつまらないと思うのでスルーしてください。)
NPO/NGO関連のシゴトをしているとき、学生などからよくこう言われる。
「私も●●さん(←ワタシね)のように、人や社会のためになるようなシゴトがしたいです!」
軽いリップ・サーヴィスではあるにせよ、恐らく私の「特定非営利活動法人(NPO法人)勤務」という一面をみてこう言ってくれるのであろう。
「なぜそう思うの?」
訊き返す。
すると、
「企業だとそれができないから・・・」
法人格というのはざっくりいうと営利法人と非営利法人に分類することができる。(公共はまた別として)
おなじみの株式会社や合同会社、監査法人などは営利法人であり、社団や財団、農協組合、特定非営利活動法人などは非営利法人である。
その違いについて、ざっっっくり言うと、利益を従業員などに分配していいか、ダメかということになる。(ざっくり過ぎ?ゴメンナサイ。)
間違ってはいけないのは、非営利法人であっても役員や従業員に給与や報酬を払うことはできるという点だ。
利益の分配はダメで、給与・報酬はOKというのは、もしかすると働いたことのない学生さんらにはイメージしにくいかもしれない。まあそのへんはwikiさまにお任せし、置いておいておくとして、
【参考】法人-wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA
結局なにがいいたいのかというと、
「法人格の種類に関わらず、人のためにならないものは【シゴト】と言ってはいけなない。」
ということ。
公務員であろうと、会社員であろうと、NGO職員であろう真っ当なショーバイであれば、全て人のためになっているハズなのである。人のためになっているからこそ、そ本来、「他人の時間(命)」がカタチを変えたものであるはずの「お金」の交換がされるのである。
またこれも学生さんたちがよく使う「自分のやりたいこと」(主に職業や職種のこと)みたいな言葉も実はあまりカンケーがない。
学校の先生であろうと、営業マンであろうと、事務員であろうと、海外の貧困問題に取り組む人であろうと、直接お客さんと接する接しないなどの違いはあるとすれ、やはり真っ当なショーバイであれば、それは人のためになっているハズなのである。
たしかに一部、詐欺や盗みなど人を不幸せにしお金を集めているものがあるのは事実だし、とても残念なことではある。しかしそれらを決してシゴトとはいってはいけない・・・
若いころから、「どんな場所(法人)」で「なにをやる(職業・職種)」だけを考えるのはとてもモッタイナイ。
もう少し視野を拡げて、自分が「どうなりたいか」・「どう生きていきたいか」ということ(うまく表現できないが、(能力)・(性格)・(信条)などの語彙が近いか。)を考えると、また違った一面が見えてくるのではないか。
私はべつに非営利法人で働くという面が欲しいわけでもなかったが、この「どうなりたいか・生きていきたいか」という選択において、確信をもってここでシゴトをしているのである。
まとまらなすぎで、なんだかなーーですが、このへんはまたいつかあらためて。。。
おそうじオバチャン - 憂歌団
おそうじオバチャン(歌詞)